senesio's diary

息子が学校に行けず、出口の見えない状態です。ぐちゃぐちゃな頭を整理する為に書いています。

義母のこと。

落ち着かないので、

色々と書いてみようかと・・・

 

義母、今の時点で意識不明。

心筋梗塞と、腎不全。

急なことで、もうどうしていいか判らない。

 

相方からの連絡で

義母は病院に委ねるしかない。

義父の方が、自分を責めているようで

「心配だから今日は、実家に泊まるわ」と。

 

相方の兄姉はみんな実家のそばで家を建ててる。

ちなみに相方は、4人兄姉の一番下だ。

 

義母と私の関係は・・・と言えば、良好だった。

年に数回行く程度だけど、仲は良かったと思う。

特に、相方の生家方面は、年に一度の祭りが熱くて

この祭りの為に、そこを出て他所に所帯を持ってても帰ってくる。

相方もそうで、私も一緒に帰る。

 

かなりのお客さんを呼んで盛り上がるのがセオリー。

義母と私(途中から義姉も手伝いに来る)は、3人で40〜50人分のご馳走を作る。

ほぼ、戦場だったw

相方と結婚した年から、そうしてたから

いつの間にか役割分担が出来て、

義母がメインディッシュ系、私が、サイドメニュー系を担当してた。

全く、ぶつかることなくガンガン大皿を出して

祭りの終わり頃には、

「ナギちゃんがいて、助かった」と、微々たる私の働きを労い

ニコニコとお土産をたんと持たせてくれた。

 

その・・・正直言うと、義母って苦労してきたからか

ちょっと顔貌が険しいんだけど、自覚してるようで常に笑顔の人。

私の実母が、親同士でお会いした時に

『ナギがいびられないか、いけずされないか』と

凄く気を揉んで・・・

実母は、常に同居姑にいびられてきた人で、私もそれを見てきた。

私が高校生の頃に、祖母に反撃したのは当たり前だと思うし後悔はしていない。

 

実母は、「結婚したら別居。他は認めない。

あと、なんかあってここに帰ってくるのもダメ。

ド田舎で暮らすだけの器量をアンタは持ってない。」

なのに。

ここに帰ってきちゃったね。

実母が急逝して・・・あの頃の記憶はほとんど無い。

ただ、ただ、しんどくて悲しくて辛くて、

なのに、父方の親族に痛めつけられて為す術はなかった。

気の合わない父と同居する気はなかった。

けど、度重なる体調不良の入院、父方の親族のプレッシャー。

 

結局は、実父の状況と親戚と世間ってモノに負けちゃった。

 

 

実父との同居の時に、義母が

「もうナギちゃんの姓になれば?」と言った。

びっくりした。

けど、相方が

「タロの名前さぁ、苗字に合わせて付けたから、嫌だ」

 

お義母さんは、本当にいつも

しがない私を受け入れてくれてて

母が亡くなった時に

「無理かもしれんけど、私をお母さんと思って頼って欲しい」

と言われた時は、涙が止まらなかった。

 

親族がこんな冷たいのに

お義母さんの言葉が余計に染みた。

 

あぁ、思考がおかしいな・・・

本音は、

『義母と同居ならダメだったろうなぁ』とも思うw

 

こんな思い出話、縁起でもないね。

 

そのうち、軽く

「義母、退院して、いつもの様に義父と旅行に行きました」

と、報告します。

 

えぇ、報告します。