senesio's diary

息子が学校に行けず、出口の見えない状態です。ぐちゃぐちゃな頭を整理する為に書いています。

言葉。

中田先生は、決して親としての私を責めなかった。

 

夜の電話連絡の最初のセリフは必ず

「今日のジロくん、どうでした?」

だった。

 

私は、愚痴のような事を言い、

その対応を考える。

 

いつも、そんな感じ。

 

思考が煮詰まっていた頃だった。

考えるよりも口がついて出る経験を初めてした。

バカみたいに、しゃべり続けた。

ジロの育成歴。

帝王切開で産んだ事や、産まれてすぐに黄疸が出て

光線治療を受けたこと

それが、おかんとして悲しかったこと

お腹の傷が塞がらず、毎日ガーゼ交換に病院に通って

それが尋常じゃなく痛かった事。

 

新生児や乳児の頃にちょっと不憫なことがあったって

それは今に繋がりませんよね?

 

私はずっと、後悔してたのかな、心の底で。

そんな事、11年経った今吐き出したって、何にもならない。

いい大人のすることではない(笑)

 

先生は面食らっていたんだろうと思う。

でも、冷静に常識的に応える中田先生。

壊れモードの私の話を、聞いてくれたのは本当に有難かった。

 

中田先生の言葉の一つが私の救いになった。

多分、この先の大きな支え骨の一つだ。