senesio's diary

息子が学校に行けず、出口の見えない状態です。ぐちゃぐちゃな頭を整理する為に書いています。

出産トラブル。

多分タロは、本来ならば産まれなかったんじゃないか・・・

って位、受難の妊娠だった。

 

相方と結婚して、子どもは

『できたらいいね』ってスタンスだった。

で、結婚してすぐに、妊娠したけど流産した。

 

落ち込んで、家から出ない日々。

そこで、友達のユーリが

「テニスしよっ」

 

当時、住んでいたT市は、春にカルチャースクールの募集をする。

ユーリは、私を引っ張りだすためだろう

カルチャースクールのパンフレットを持って

「1人で入るのは嫌だから、ナギ、行こう」

 

渋々、行った割には、身体を動かすことが楽しくて、

そこで出来た友達とも楽しくプレイした。

 

夏だった。

汗だくでレッスンしてる最中、激しくお腹の痛み。

「ユーリ・・・お腹痛い」

蹲った私に

「病院に連れて行きます」

と、コーチに告げて、病院へ・・・

 

時間外診療の病院で私の妊娠が確定した。

しかも『子宮外妊娠の可能性あり』で。

 

夜勤務だった相方が、ユーリとバトンタッチで

とりあえず、私は入院することとなった。

お腹の痛みは、えんえんと続く。

 

相方が、無言で私のお腹を撫でる。

「子宮外妊娠の可能性ってだけだから。

確定するまでは、手術しない」

無言でお腹を撫でる相方。

 

以降、2日置きの検診で

毎回

「子宮内には卵胞が見えない」と言われ続け

それを

「子宮外妊娠確定でなければ、手術は受けない」と言い続け

入院から14日目に卵胞を確認、妊娠続行まで

心が修羅場だった。

 

特に、実母の

「若いから、これから何人だって産める」の言葉に

「や、今、腹ン中にいるよ。確定するまで堕胎はしないよ」と言うと

「無事に産まれるのよ、ばーちゃんが待ってるからね」

の言葉に

「待っててね」と言った私だった。

 

無事に退院後は、つわりの日々。

食べられず飲めずで、点滴したのが2回。

妊娠中期からは、高血圧・尿蛋白に悩まされた。

 

 

そして、妊娠32週の頃。

妊娠中毒症+バイクでコケて骨折、のダブルパンチ。

や、妊婦はバイクで走っちゃいけませんことよ(^^)

 

そんなヤバい妊娠後期の末、産まれたタロ。

よくまぁ・・・産まれてくれたものだと・・・

 

ジロに関しては

タロの時ほどではないけれど、

タロの方が強烈すぎて・・・

後期に妊娠中毒症だったな・・・って程度。

予定帝王切開で、医師の医療ミス以外は

(膀胱、切られました)

普通な妊娠・出産でしたとも。

 

タロ・ジロ共に産後

腹の手術痕が塞がらず、治療に通った3ヶ月以外は

普通に普通な状況ですね(^^)

 

こんだけ愛情を注ぎまくって

タロは、反抗期なし

ジロは、反抗期バリバリってのは・・・

どうなんでしょう?